いよいよ明日。青年海外協力隊として、2年間のネパール生活が終わる前に思うこと

★今月の一押し記事!

ナマステ!
ネパール在住・青年海外協力隊ブロガーのKei(@Kei_LMNOP)です。

協力隊の任期である2年が遂に終わりを迎えました。
明日、日本へ帰国します。
今思うところを赤裸々に語ってみたいと思います。

2年の終わり。でも実はそんなに哀愁漂う感じはない!

2年が終わって、明日が帰国。
なんか哀愁漂う感じになってると思うじゃないですか。
もう今にも泣きそうな感じなってると思うじゃないですか。

自分でも、そうなるんじゃないかなって思ってました。

でも、不思議なことに、
全然寂しさもないし、
センチメンタルな感じも一切ありません(笑)

「帰国」って感じもしなくて、
「お別れ」って言葉も、
なんだかピンと来ません。

昨日の夜、同期と2年間を振り返りながら、
色々と語ってたんです。
そしたら急に同期がこんなことを言うんですよ。

「うわ、やばい。どうしよう。泣きそう」 

もう全然ついていけませんでした。
「えっ、なんで泣くの?」って感じで。

ちなみに、泣きそうになってたのが彼です。
そうです。「フンチャ」の彼です。

彼はこの2年間の間、ネパールで、
「フンチャの人ですか?」
って声をかけられたことが何度もあったそうです。

ぜひ日本で見かけたら、
「フンチャの人ですか?」
って声をかけてあげてください。泣いて喜びます。

寂しさがないのは、これが「終わり」じゃなくて「始まり」だから。ワクワクしてます

脱線したんで、話を戻します。
寂しさを全く感じていないのには、
ちゃんと理由があります。

それは、数ヵ月したら、
またネパ―ルに戻ってくるからです。

「途上国で事業がしたい」
でも何の事業がしたいのかは分からない。
だから僕は協力隊になりました。

結果、無事、この2年で、
事業として
本当にやりたいことを、
見つけることができました。

そう考えると、この2年が終わることは、
僕にとっては全然「終わり」じゃない。
むしろ「始まり」なんです。

気持ちをたとえるなら、
この2年は補助輪付きの自転車を、
一生懸命漕いでた感じですね。

そんな補助輪をやっと外して、
いよいよ補助輪がない、
本当の自転車に乗る感じです。

盛大にずっこけるかもしれない。
シャレにならないくらいの大けがをするかもしれない。
それでも、やっぱり今はワクワクしています。

ずっと漕ぎたかった自転車にやっと乗って、
決まらなかった目的地もやっと決まったわけですから。
これは「終わり」じゃなくて「始まり」なんです。

ネパール大地震、任地変更、インド国境封鎖による燃料不足、1日16時間停電、復興支援への葛藤、存在意義のなさ…まあいろんなことがあった2年でした

とはいえ、せっかくなので、
この2年をさらっと、
振り返ってみることにします。

2015年4月~6月:ネパールに出発する前

まず、ネパールに派遣される前から、
波乱の展開でしたね。
協力隊の訓練中にネパール大地震が起きました。


一時はネパールに行けるかすら分からない状況に。
正直、めちゃ不安でした。
どうしてもネパールがよかったから。

出発1か月前。
幸いにも、ネパール行きは決まりました。
でも、自分が2年を過ごす任地が変更に。

複雑でした。
ネパールに行くことができるのは最高に嬉しい。
でも、任地が変わるのはなんか嫌だ。

協力隊になることが決まってから、
自費で下見にまで行っていただけに、
どうしても行きたかったんですね。

2015年7月~2016年6月:ネパール到着~1年

とはいえ、ネパールに行けるだけでも、
幸運なことだと思い直して、出発。

活動する村も、配属先も、
温かい人が多くて歓迎してくれた。
それでも、仕事は0。自分の存在意義のなさに悩みました。

この頃から1年目が終わるまでは、
毎月のように、発熱を伴う、
猛烈な下痢に苦しんでました。

ネパールに着いてから3ヶ月。
憲法制定によるインド国境封鎖が生じ、
調理用ガスやガソリンがほぼ手に入らない状態に。


ちょうど寒い寒い乾季の時期に重なって、
この頃は本当にきつかったですね。
ガスなし・電気なし・水なしのトリプルパンチ。

特に停電時間の長さには絶望しました。
当時は停電時間が1日の半分以上が当たり前。
一番ひどいときは、1日16時間停電してましたね。

春になって国境封鎖が終わると、
ネパール大地震から1年が経っていました。


家が壊れてしまった人たちが大勢いる中で、
自分が何もできないことに無力さを感じました。

同時に、移動制限がかかっており、
ネパールに来てから1年が経とうしているのに、
いまだに被災地である自分の元任地に行けないもどかしさも。

ただ、今自分ができることは、
今自分が居る場所で活動をしっかりやること。
そう思って、活動をひたすら進めました。


2016年7月~2017年6月:ネパール1年目~2年

あっという間に、
1年目が終わって、2年目へ。

この頃には、
新しくキャラメルの活動も、
本格的にスタートしました。


順調に進んでいたのに、
品質問題と仲間解散という二つの危機が、
同時にやってきました。


ただ一方で、ラプシーキャンディの工場では、
働いてたスタッフの給料UPに成功。
これは本当に嬉しかった。


2年目に入ると、
ネパールのことがより深く理解できるように。
すごく切なくて苦しかった。


キャラメルもなんとか形に。
でも、やっと形になったところで、
おばちゃんが辞めることに。


 

新パートナーが現れて、
なんとか継続できたものの、
彼女との関係性にすごく悩みました。


活動以外でも大きなことが。
自分が行くはずだった元任地の子どもたちを、
カトマンズでのチャリティーマッチに招待できました。

震災復興に関しては何もできていないことに、
すごくもどかしさを感じていただけに、
本当にこれはできてよかったなって思います。

きつかったことも、苦しかったこともたくさんあった。でも、この2年は「最高の2年」だった

濃厚すぎる2年。

そんなこの2年は、
一言で言うと、
どんな2年だったのか。

ちょっと濃厚すぎてまだ整理ができてません。
その答えを出すには、
もう少し時間が必要かなって思ってます。

でも、1つ間違いなく断言できるのは、
「最高の2年」だったってことです。

活動がうまくいかなくて泣いたこともある。
存在意義が分からなくて悩みまくったこともある。
体調不良で何回寝込んだかわからないくらい寝込んだ。

でも、僕は改めて思う。
青年海外協力隊になってよかった。
ネパールに来られて本当によかった。

なぜか?
理由は色々あります。

でも一番大きいのは、
自分の気持ちに従って、
自らの意思でここに来ることを選んだから。

ずっと入りたかった会社でのキャリアを捨てて、
退職をしてまで、自ら選んだこの道。
「間違ってなかった」と胸を張って言えます。

誰がなんと言おうが、
世間や常識に反していようが、
自分が本当に生きたいように生きる道に勝る道はありません。

「最高の2年」になったのは、紛れもなくたくさんの人のおかげ。心の底から「ありがとう」と伝えたい

ただ、もう1つ絶対に忘れちゃいけないのは、
この2年が「最高の2年」になったのは、
沢山の人が支えてくれていたいうこと。

協力隊の先輩。
後輩。
同期。
配属先の皆さん。
大家さん。
調整員さん。
JICAネパールの皆さん。
バンチャメンバー。
ネパールガネーシャさん。
ルートネパールさん。
ネパールクマリさん。
元職場の皆さん。
学生時代の友達。
ブログ読者さん。
ブログを通じて出会った皆さん。
家族。
嫁さん。
村のみんな。

他にも数え切れない人たちに、
僕が見えない・気づいていないところを含めて、
何度も何度も支えていただきました。

本当にありがとうございました!

無事帰国するまでが協力隊です。
2年ぶりの日本を噛み締められるように、
油断せずに帰ります!

ちなみに2年前の出発前日は、
こんなことを書いていました。

次は⇒いよいよ明日。青年海外協力隊として、2年間のネパール生活が始まる前に思うこと

ネパールのアイドル、ラプシーちゃんの一言!

私に出会えたことにも感謝するのよ~

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