【寄稿】なぜ社会不適合者のぼくが青年海外協力隊になったのか?

★今月の一押し記事!

ナマステ!
ネパール在住ブロガーのKei(@Kei_LMNOP)です。

今回も寄稿です!
寄稿者は9月から協力隊としてパラグアイに派遣される大村さん!
変わり者なあなたにこそ、響くメッセージが詰まってます。

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青年海外協力隊として、2017年度2次隊で派遣予定の大村(@KotaOhmura)です。
南米パラグアイで陸上競技の職種で活動をします。

ブログを始めて1か月弱しか経っていないし、そもそもまだ派遣されていないので正確には青年海外協力隊「候補」です。
この度、素晴らしい出会いと機会に恵まれて、候補でありながら初めての寄稿をすることになりました。奇跡!

今回は「なぜ社会不適合者のぼくが青年海外協力隊になったのか?」というテーマで書かせていただきます。

これから協力隊を受験する人、
あとは「自分って変わり者かも?」と思っている人にぜひ参考にしてもらいたいです。

①大村とは?大村の社会不適合者っぷりを紹介しよう。

まず、大村の簡単な自己紹介をします。

ぼくは教育大学を卒業したのに教員免許を持っておらず、
そしてスポーツ第一主義の学生生活を送ってきました。
スポーツ野郎です。

そんなスポーツ野郎のぼくですが、全く体育会系ではありません(笑)。
ノリも悪く、ふざけた態度でトレーニングをする人を嫌い、飲み会も参加しない。
無口でただただ強くなるためにトレーニングに没頭する、遊ぶより練習。

まるで修行僧のような人間でした。
当然、体育会系に属していたぼくなのでめちゃくちゃ浮いていました。

学科のLINEグループも「ウザい。」という理由で脱退した唯一の人間。
半強制的に再加入させられたものの、
大学卒業まで一切学科LINEの連絡を見ない徹底ぶり。

教員免許も「そんなもんいらん。」という理由で、
将来のことを考えずに取るのをやめました。
ぼくにとって教員免許は就活における保険の位置づけで「死」を意味していました()

かと言って、就職活動もしませんでした。
「日本ウザい」が染み付いた当時のぼくにとって就職活動は不可能なものでした。

他にもいろいろありますが、こんな感じで、
ぼくはおそらく社会的マイノリティであり、
行動や性格的にも間違いなく社会不適合者に分類されます。

人間関係を面倒くさく思い、先生になることにも興味がない。
そんな社会不適合のぼくが青年海外協力隊になっちゃったわけです。
しかも陸上競技という先生に似たような職種に。

ここまでのまとめ
  • 大村は社会不適合者

誤解を招く恐れがあるので一言。
ぼくにも友達はいますよ()

②卒業論文発表会が終わったその日に逃げるように出国

こんな感じで社会不適合者っぷりを爆発させていたぼくは、
当然ながら学校に馴染めず、変わり者扱いを受けてきました。

そうなると当然つまらない。
学校が嫌だっただけなのに、
いつの間にか「日本嫌だ。もう日本にいたくない」と思うようになっていました。

社会不適合者にとって、周りの人とも意見が合わないこと、
空気を読めないこと、こうであるべきという固定観念、日本の常識。
もうすべてが嫌でした。

精神的限界を迎えたぼくは、
卒業論文発表会を終えたその日の夜に「嫌いな国、日本」から脱出しました。

なので、発表会が終わった日にお疲れさん会があったのかどうかも知りません。
ぼくはとにかく日本人と関わりたくない一心で、途上国ラオスに向かったのでした。

卒業旅行ではありません。もはや「逃走」です。

さようなら、日本。

ここまでのまとめ
  • 社会不適合者は日本に馴染むことができなかったのでラオスに逃走しました。

③発展途上国「ラオス」はめちゃくちゃ緩い国だった

無事に日本から脱出したぼくが降り立った国、ラオス。
精神的限界を迎えてピリピリしていたぼくにとっての、初めての発展途上国。

初めての東南アジア人。
初めての発展途上国の人です。
事前調べだとラオス人はめちゃくちゃ緩いらしい。

日本の社会不適合者大村 VS ゆるゆるラオス人。

構図的には対立関係にありましたが、かえってそれが良かったのか、
ラオスは社会不適合者大村をとても心地よい気持ちにさせてくれました。
日本の常識で作られた世界じゃなかったからなのかもしれません。

キチキチで生きてきたぼくにとって、ラオス人の緩さはとても新鮮でした。
仕事中に寝てるわ、酒飲んでるわ。ただ座ってるだけで本当に仕事してんのかい!?
という感じで、日本とは全く違う緩さがとても刺激的だったわけです。

日本だと仕事の時間に寝てたら怒られますよね?
世間話ができる空気もないですよね?
ゲラゲラ笑うこともできませんよね?

ラオスだとそれが当たり前に行われていました。
文化が違えばここまで違うか、と思ったものです。
服も適当だし、本当に楽。

とにかく、ラオス人って、

• 自由に見える
• 笑顔が素敵
• 本当にその瞬間を楽しんでいる

こう感じたのです。ぼくが持っていないものを持っていたのです。

ぼくは日本では社会不適合者であり、変わり者扱いを受けるマイノリティ。
「日本嫌い、あぁつまらない」と嘆くぼくは、キラキラ笑顔の彼らの生き方をしたいなと、いつの間にか虜になっていました。
今までキチキチで真面目に生きてきた自分が馬鹿らしくなりました。

あの「飾らず、自分のあるがままに」生きている感じが本当に心地よかったのです。

ここまでのまとめ
  • ゆるゆるであるがままに生きる発展途上国の虜になった。
    そして、自分自身が馬鹿らしくなった。

④現地人や旅人との交流

高卒レベルくらいの英語レベルだったので、
英語で意思疎通を取るのに苦労しました。

カタコト英語でしたが、
コミュニケーションをとったラオス人はどの人も本当に優しくしてくれて、
「あぁ、温かいなぁ」と思いました。

ラオス人にとって日本人は外国人です。
見ず知らずの人にいきなり話しかけられても笑顔で話してくれるなんて、なんて素敵なんだ!と感動したものです。

欧米各国の旅行者とも交流をする機会がありましたが、彼らも本当に人生を楽しんでいるように見えました。
とにかく緩いんです。
日本にいた時のぼくのように殺気立った人なんて一人もいませんでした。

そして、彼らの「仕事をせずに世界を回る」というスタイルに衝撃を受けました。
日本では大学を卒業したら就職するというようなレールが敷かれています。
暗黙の了解レベルです。「卒業したら働け、仕事第一だ」みたいな空気感ですね。

一方で、彼らは仕事よりも人生を楽しむことを優先しているように見えました。
毎日時間ややることに追われて息苦しさを感じる日本とは違って、
自分の人生を第一に考えている彼らの考え方に憧れを持つのでした。

ぼくは今までスポーツ第一で生きてきたので、邪魔に入られたくなかったし、周りが見えないというかそれだけに一直線に生きてきました。
そういう生き方がどうでもよくなりました。

社会の固定観念にとらわれず、自分の生きたいように生きる生き方。
そして、実際に何とかなっている現状。

仕事を休んで、あるいは辞めて旅に出るということは、今の日本の常識からいったら完全にリスクです。
リスク扱いを受けているこのような生き方の人を間近に見たときに、彼らから微塵もリスクなんて感じなかったんですよね。

「あれ?人生ってなんとかなるんじゃないかな?」
とこの頃に思い始めました。

こんな状況を目の当たりにしてしまったので、
ラオスで日本に帰りたくない病を発症してしまったわけです(笑)。
とにかく楽しもう!キチキチなぼくがどんどん溶けていきます。

⑤発展途上国「ラオス」で青年海外協力隊OBOGとの運命的な出会い

出会ったラオス人も欧米人も、日本人と違ってみんな緩く生きていました。
そんな彼らと触れ合っていると、人と関わるのも悪くないなと思うようになっていきました。

そう思っていたぼくに、シーパンドンで運命的な出会いがあったのです。
任期を終えたばかりの協力隊OBOGと出会ってしまったのです。
本当に運命。

当時のぼくは青年海外協力隊なんて全然知りませんでした。
だけど、協力隊OBOGの方々は見ず知らずのぼくに対して2度3度ご飯に誘ってくれたり、旅初心者に有益な情報を教えてくれたりしてくれました。
そしてやっぱり一番刺激的だったのは協力隊の話でした。

とにかく楽しい、刺激的、という話が印象に残り、
この時に初めて「青年海外協力隊いいかも?」と思いました。

日本が嫌いだったので、

  • 海外進出できる
  • やろうと思えばなんでもできる
  • 語学堪能
  • 手当も出る
  • 日本人以外の新しい人間関係ができる

というのは、日本嫌いなぼくが日本から脱出するための理由にぴったりだったのです。そして、嫌いな日本では得られない刺激があったのです。

彼らとの運命的な出会い以降、
ぼくの頭の中には常にどこかに青年海外協力隊の想いが巡るようになりました。

こんな感じで、ラオスバックパッカー旅を終えたぼく。
初めてのバックパッカー旅で、


人生、何を考えてもいいし何をやってもいい。
楽しんだもの勝ち。

 

ということを学びました。
今思えば、社会不適合者として扱われてきたぼくは、

  • 周りの人とも意見が合わせなければならない
  • 空気を読まなければならない
  • こうであるべきだ

と自分で勝手に思い込んでいたのだと思います。
勝手に固定観念を作り上げていたんですね。

自由に生きる人を見たり、
貧しくても笑顔で溢れた生活を送っている人たちを見たりしているうちに、
個性を殺して固定観念に縛られながら生きるのではなく、

社会不適合者でも
「ぼくはぼくらしく楽に生きていいんだ」
と思えるようになりました。

ここまでのまとめ
  • 日本では見たことがない、自由にイキイキと生きる人たちを見た。
    そして、協力隊OBOGと出会い、運命の歯車が回り始めた。

⑥帰国後就職するも、日本の空気感がやっぱり合わなかった

心地よい異文化、優しい人たち、運命的な出会いと別れを告げて日本に帰国したぼく。ガチガチな心を溶かしてくれたラオス。

だけど現実は残酷。
残念ながら就活をしていなかったので、
とりあえずハローワークに行って新卒枠で企業に入社しました。

だけど、やっぱりラオスでのたくさんの経験や出会い、思い出からくる海外へのあこがれが勝ってしまいました。

働いている時も、常に日本の

  • キツキツで面倒くさい人間関係
  • 働かなければいけないという固定観念
  • 個性を捨てて会社に忠誠を誓うみたいな空気

全てが合わなかったのです。
社会不適合者でも自分の個性が活かせることをしたかったぼくにとって、やっぱり就職して仕事をするというのは縛られている感覚が強すぎたのです。

確かに、個性を殺して企業の社風に合うように仕事をすれば一定のお金が手に入るし、一定の収入があるということは安定だという人もいると思います。

ただ、ぼくは個性を殺していつまでも我慢しながら仕事を続ける方がよほど恐ろしいと感じました。

なぜなら、その企業は自分が定年を迎えるまで存在しているかわからないし、
個性を抑え続けることがその後の人生に与える影響が大きいと思ったからです。

「毎日会社で働かなければお金は稼げない」
「生活できない」
「今仕事を辞めたら雇ってくれるところなんてない」。

どこかで聞いたことがある言葉じゃないですか?

こういうのって、結局は自分の考え方や行動スタイルが積み重なってできた結果だと思うんです。
この結果が固定観念なわけですが、
固定観念に縛られたら、もう新しい一歩って踏み出せないし、見えないんですよ、新しい世界が。

実際、日本より貧しい暮らしをしていたラオスの人たちは本当に笑顔が素敵だったんですね。
お金がないことを受け入れて、あるがままに生活しても「自分にとって幸せ」だったらそれでいいのではないでしょうか?

あるがままに。社会不適合者だけどそれも個性。
社会不適合という個性をもつぼくが輝ける生き方。

だからこそ、ぼくは日本的に言う「安定」を捨てて、
青年海外協力隊になろうと思ったのです。
自分を縛らず、そして固定観念さえなければ世の中は楽しいことで満ち溢れています。

とは言いつつも、お金が貰えるのでとりあえず惰性で仕事に行きます。
今思えば、働いてすぐに仕事を辞める申し訳なさとか社会的な見方が気になっていたのだと思います。
よくない考え方ですね。

だけどつまらない。刺激がない。退屈。
それが常にストレスになっていました。

そうするうちに、

  • 何もないところから考える、行動する
  • やろうと思えばなんでもできる
  • 現地の人と幸せな人生のために活動する

そんな刺激的な協力隊への思いがどんどん積もっていくのでした。

ぼくの居場所はやっぱりここではありませんでした。

⑦ストレスだったので、思い切って東京の募集説明会に参加⇒退職

「このままストレスを溜めたまま、残りの人生をつまらない日本の仕事に費やしたくない!」と思ったぼくは、ついに決意します。

「そうだ、青年海外協力隊になろう。」

ラオスで出会った協力隊OBOGの影響ですね、完全に(笑)。

そうとなれば話は早い。とにかく合格しなければ…。
一発で合格して、絶対に協力隊になるんだ!
脱出するんだ、日本から!笑

ということで、シフトで連休を取得して3度東京遠征をしました。

試験までにぼくがやったことは、

  • 短期の地域おこし協力隊?に参加した人から地域おこし協力隊の話を聞く
  • JICA市ヶ谷で情報収集
  • 募集説明会に4回参加
  • OBや試験担当者と個別相談
  • 配布資料をたくさん手に入れて全部読む
  • SNSで協力隊OBOGの方々からアドバイスを頂く
  • 先輩隊員のブログ漁り
  • JICAホームページの読み込み

という感じで、これでもかというくらい情報収集をしました。

ぼくは情報が多ければ多いほど安心するタイプなので、度が過ぎた感はありますが、今も試験に向けて徹底的にあれこれやったことを後悔してないし、実際協力隊にも合格できたので良かったと思っています。

ぼくは、日本的に言う「仕事」という安定を捨てて、
「やりたいことに挑戦する」という選択をして一歩踏み出しました。
社会不適合という個性を活かせる、ぼくが輝ける場所に向かって進み始めました。

あれこれと準備を進め、ついに退職して協力隊の試験に臨みます。

ここまでのまとめ
  • なりたい自分になるために最初の一歩を踏み出した。

⑧いざ、協力隊試験!

ということで万全に準備して協力隊試験に臨みます。

一次試験はある程度時間もあるし書類審査なので、書くべきことを練りに練りました。なので自信がありあっさり合格。

ところが二次試験。
二次試験も準備期間があったので準備をしたのですが、ぼくは準備をしすぎたせいか逆に面接でハイになってしまいました。

おまけに技術試験では珍回答をかまし、
試験終了後は「あぁ、終わった…」と落胆していました。

たぶん、これはぼくに限らず試験を受けて少しでも失敗した人なら同じように感じるのではないでしょうか?
なので、これから受験する人は試験のそのスリル感を味わってください(笑)。
経験することが大切です。

ここから合格発表までの1ヶ月間、不安9、期待1の地獄の生活が待っています。

ここまでのまとめ
  • 社会不適合者でも緊張する(笑)

⑨こうして社会不適合者大村は協力隊候補になりました

二次試験合格発表5日前から、
あまりの不安と緊張で正常な睡眠がとれなくなりました(笑)。
まだあと5日あるのに気持ちわるいし…

試験発表当日。家にいると発狂しそうなので、トレーニングをしに外へ。
だけど、もうトレーニングになりません。
時間を潰すための散歩で終了になりました。もう地獄ですよ、地獄。

帰宅し、心臓バクバクで試験結果を見ます。
ぼくは自分の試験番号を先に見てなかったら超ショックだと思ったので、
職種別試験結果を見ることにしました。
陸上競技は受験者が2名だったので、職種別試験結果で合格者に「2」が刻まれていたら晴れて合格です。

あったー!!

晴れて社会不適合者大村は協力隊候補になったのでした。

おわりに~一連の経験から学んだこととこれから協力隊を目指す人に伝えたいこと~

ぼくは今まで社会不適合者として生きてきました。

いわゆる普通の人から見たら変わり者の社会不適合者。
日本の常識とか、固定観念とか、人とか。
そういうものが全て嫌でした。

とにかく「日本の普通」に合わせるために自分の個性を殺して周りに合わせる毎日は本当に辛いものでした。

だけど、発展途上国ラオスを旅して気づいたのです。


「個性を殺して周りに合わせなければいけない」
と固定観念を作っているのはむしろ自分ではないのか。

 

旅して思ったんです。


自分の周りの環境を全て受け入れてあるがままに生きていいんじゃないか?
もっと自分の生きたいように、自由に生きていいんじゃないか?

 

今現在、やっぱりぼくは日本は別に好きではありません。
だけど、別にそれでいいんです。
「好きじゃない」という事実だけでいいんです。

もう、ぼくは嫌いだからどうこう思うのをやめました。
受け入れました。
そして、社会不適合という個性も、これはぼくなんだと思うようになりました。

あるがままでいい。
あるがままに、ぼくのままに。
「社会不適合者大村」という生き方でいい。

社会不適合者大村にとって、初めて過ごした発展途上国ラオスでの人との出会いや文化、食べ物、そして経験。
多くのことがぼくにとって心地よくて、そんな環境で一緒に生活してみたいと思いました。
もっと自由に、そして刺激を求めて。

そして、今までずっと陸上競技を続けてきたこと、
加えて陸上競技が好きなこともあって、

発展途上国×陸上競技=大村の生き方

青年海外協力隊という道が開けたのです。
大村が輝ける場所を見つけることができました。

もし、協力隊、あるいはやりたいことがあるけど悩んでいる人に伝えたいことがあります。

それは、

やりたいことは今すぐやれ!

ということです。

「語学ができないから」
「ボランティア経験がないから」
「コミュニケーション苦手だから」。

そういう理由ってやらないことを正当化しているだけではないですか?
本気でやりたいなら何とでもなるはずです。

人生、常に「やる」か「やらない」かの2つの選択です。
やりたいならぜひ踏み出してほしいです。
進み出せば止まらないんです。

そして、一歩踏み出した世界は今までで見たこともない素敵な世界のはずです。
進まなければ見ることはできないんですよ?

「できる」「できない」という堅苦しい考え方ではなく、
「やりたい」「やりたくない」で考えてください。

どんなに人とは違った個性を持っていようがそれがあなたなのだから、
個性を抑えるのではなく、自分のあるがままに個性が輝く場所を見つけてほしいです。

社会に対して文句を言うのも、自分にはできないというのも自由。
だけど、いくらでもやりたいことをやるのも自由だし、
楽しく生きていくことも自由なんです。

同じ時間を過ごすならどっちの人生を歩みたいですか?
やりたいことに対してやるかやらないかを選ぶだけなんですよ?

人生は一度きり。
その瞬間に思ったことはその瞬間だけです。
自分に制限をかけないでください。自由なんですよ、人生は。

社会的な常識抜きで、自分の心に正直になって挑戦してください!

大村康太さんのプロフィール

平成28年度東京学芸大学教育学部生涯スポーツ専攻卒業。
新卒で就職するもすぐに退職。
その後、平成28年度秋募集青年海外協力隊に合格する。
2017年2次隊、陸上競技でパラグアイに派遣予定。

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非常に読み応えのある記事でしたね~。
協力隊になる理由は人それぞれ。

子どもの頃からの夢で、協力隊になる人もいれば、
大村さんのように、日本を出たくて、協力隊になる人もいる。

要は、理由なんてなんでもいいんですよ。
大事なのは現地で何をやるかなので。

「崇高な理由がないから」と言って、
協力隊にならない理由なんてないですよ!
興味があるなら、まずは受けてみることをお勧めします。


大村さんのブログのおすすめ記事はこちら!
僕は退職後、すぐに訓練突入だったのでこういう時間が持ててうらやましい!

ネパールのアイドル、ラプシーちゃんの一言!

私も早く日本に行きたくて、ネパール不適合者になりそうよ~

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