Kei's Way@Nepal

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僕はネパールを変えることができない。

~ネパール在住青年海外協力隊が贈る、生き方に悩む20代が前に一歩踏み出したくなるブログ~

病院勤務からトレッキング会社設立!?ネパール情報発信の第一人者、春日山紀子さんにインタビューをしてきました!

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ナマステ!久々のインタビュー企画です。

ネパールといえばヒマラヤトレッキング。
そしてヒマラヤトレッキングの心強い味方の会社といえば、ヒマラヤン・アクティビティーズさん。

そんなヒマラヤン・アクティビティーズさんの経営者である春日山紀子さんに、今回はインタビューをしてきました。

インタビュアーは前回に引き続き、協力隊の大野先輩です。

面白い話をお伺いできたのでお楽しみに!  

「ヒマラヤン・アクティビティーズ」の経営者、春日山紀子さんのプロフィール!

初ネパール入りは1996年3月、大学3年の時。
その後住み始めるまで5回訪問。
大学卒業後、3年間の社会人生活を経て、2000年7月よりカトマンズ在住。
横浜出身。私生活では二児の母、非婚。

 

もともとは臨床検査技師として病院勤務も、いつの間にかネパールの虜に!

 ーネパールに初めて来られたのはいつ頃ですか?

大学3年から4年になるときの春休みに来ました。
旅行で、友達と一緒だったんですけど、友達が決めてくれて私はついていった、という感じで。
ラオスかネパールにしようってなって、いつの間にかネパールになりました。
思い入れがあったわけではなかったんですが、その後1人だけハマってしまい、また何回か来ることになりました。

 

ーそのときは何が一番印象に残りましたか?

 (観光客の宿泊街の)タメルには泊まらずに、郊外のゲストハウスに泊まったんです。
そこで働いていた同世代の子たちがのんびり働いていたのを見て、「こういうのいいな~」って思ったのが一番のきっかけですね。
そこからは自然といろんなことに興味を持つようになりました。

 

ーどんなことに対して興味を持つようになったんですか?

住み始めるまでは、カトマンズしか知らなかったんです。
他の観光地に行ったこともなく。
それでもカトマンズだけでもいろんな民族がいるんです。
ある民族の人から教えてもらったことが、他の民族の人から教えてもらうと違うことも。
ひとくくりにネパールといっても民族や出身地によって、言葉とかいろんな違いがあるのが興味深いなと思いました。

 

ーそうなんですね。その次にネパールに来られたのはいつですか?

1年後、大学を卒業する年に1人で来ました。
医療系の国家試験があったので春休みが短くて、ネパールとインドを2週間回りました。
そのうち、ネパールは1週間強くらいですね。

 

ーええー!医療系だったんですね!?

そうなんです。大学を卒業して3年間就職してました。 

 

ー私たち2人も3年で会社を辞めたんです!

そうなんですね! 26,27歳ってそういうタイミングの年なのかもしれませんね。

 

ーどんなお仕事をされてたんですか?

臨床検査技師っていう病院の検査機関で検査する仕事ですね。
3年大学病院で働いてそれから辞めました。
私も青年海外協力隊に興味があったんです。
ネパールと関わる前は協力隊も考えていたんですが、ネパールと関わり始めてからはネパールに行きたいって思うようになって。
仕事を活かすというよりは、「他のことでもいいからネパールに行きたい」ってなってしまいました。 
でもネパールに関わる前は、とりあえず3年働けば協力隊にも応募もできるって思ってました。

 

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おいしい手作りの食事までいただいてしましました!ごちそうさまでした!

ネパールでパラチフス感染!4週間隔離の壮絶な生活でネパールと一生付き合うことを決める

ー仕事を3年で辞められてネパールで住み始めたということなんですが、仕事をされている間、どのくらいの時期からネパールに行こうって思ってたんですか?

働き始めたらなかなか休みに取れないだろうなと思って、卒業前にネパールに行ったんです。
ところがどっこい、結構休みが取れる職場で、年に2回くらいは2週間くらい休みが取れたんです(笑)
1回はネパールで、1回はミャンマーとかに行ってましたね。
ミャンマーも気に入ってたんで、先にミャンマーに行っていたらネパールじゃなかったかもしれないですね。
でも、働き始めてから何度もネパールに行くうちに気持ちが固まっていったっていうのが1つ。

あともう1つきっかけがあったんです。
働き始めた年の夏にネパールに来たんですけど、そのときにパラチフスにかかってしまって…。
日本に帰ってからも下痢が止まらず。
検査したところ、菌が発生し、高熱が出て。
当時パラチフスにかかると4週間隔離されるっていう決まりがあり、4週間隔離されました。
それがきっかけで、ネパールとは離れられないなと思うようになったんです。

 

ー面白いですね。体調崩したら「もう嫌だ!」って思う人が多いんですけどね!
何かパラチフスになった心当たりはあるんですか?

あるんですよそれが(笑)
私もバカなことをしたなと思ったんですが、ボダナートに住んでいる知り合いに散歩に連れて行ってもらったんです。
そのときに、地元の友達が川の水を飲んだんです。彼が飲んでるのを見て平気だなと思って私も飲んでみたんですが、今思えばそれかなと…

 

ーたぶんそれですね(笑)

当時は家もあまり建ってなくてのどかで水もきれいだったんですけどね…。
他にも色々菌が出てきて、それが珍しくて学会で発表されたんです。
私も医療系の分野にいたので、自分の菌が発表されるところに私もいました(笑)

皆さんに「もうこれで懲りたでしょ!」って言われたんですけど、懲りなかったんですよね。
逆に朦朧としながら「私は一生付き合っていかなきゃ、このネパールと」って(笑)
これが一番のきっかけです。

 

ーこれが社会人1年目のことなんですね。

何年かはやっぱり下積みというか、将来何があるか分からないので。
とりあえず3年働いておけばネパールから戻ってきたときになんとかなるかなと思っていました。
なので3年は我慢して働きました。

 

30歳目前でヒマラヤン・アクティビティーズ創業!心懸けたのは「発信し続けること」

ーネパールに住もうって思っていたのは、どのくらいの予定だったんですか?

綿密に計画を立て始めたのは働き始めて2年目のときですね。
年に1回はネパールに来ていたので、どうやったら住めるかなって考えて。
まずはビソバサ(言語大学ネパール語学科)に通えばいいんじゃないかと思いました。言語も学べるし、ビザももらえるし。
それが 2000年の7月のことですね。

 

ーヒマラヤン・アクティビティーズさんはトレッキングをメインにやられていますが、いつ頃からこの事業をやろうと思われていましたか?

ビソバサは当時3年で完結するコースだったんですね。
3年通うとちょうど30になる年だったし、日本に復帰するのに区切りもいいなと思い、とりあえず3年やろうと思っていました。
でも、ネパールで暮らすにつれて、本当に日本でやっていけるのかなと(笑)

だったら、ネパールで暮らしていくにはどうしたらいいのかなと。
ネパールでも多少アルバイトはしてたんですけど、それでも今までの稼ぎを食いつぶしていたんですね。
もし3年終わってネパールで生活する場合、本格的に稼ぐ仕事をしないとなと。
でもネパールで仕事をするのって難しいですよね。外国人が生活をしていくレベルで収入が得られる仕事なんてないです。

そう考えたときに自分で起業するのがいいのかなと。
だったら旅行会社が一番手っ取り早いと思ったんです。
それでビソバサが終わる1年前の、2002年に会社を設立しました。
でも当時は旅行会社のビザは、外国人に登記を認めていなかったんです。
なので、私の名前を会社の経営者として載せることはできず。
ネパール人の共同経営者が3人いたんですけど、その3人の名前だけ載せて、最初は私はアドバイザーみたいな形で始めました。

 

ー共同経営者3人はどういった関係の方だったんですか?

ネパールに初めて来たときからの知り合いですね。
彼らも自分たちの旅行会社を設立したいと思っていて、「じゃあ私も」ってなったんです。 
今は1人だけ残って、他の2人は別の自分の会社をやっています。
2006年に法律が変わり外国人名を登記できるようになったため、今は私7割+ネパール人のビジネスパートナー3割の共同経営として登記しています。

 

ー旅行会社が始まった時、何から始めたんですか?

最初は日本語のホームページをつくりました。集客しないといけないと思って。
素人ながらホームページビルダーを自分で買って、読みながらなんとかつくりました。今もそのままなんでどうにかしたいんですけど(笑)
2002年の設立の前にやりましたね。どうしてつくれたのか今考えると不思議です。

 

ー事業が軌道に乗り始めたのはいつ頃だったんですか?

始めて2年で赤字にならない程度に利益は出ていたんですが、始めて5~6年の2008年くらいですね。
その頃から政情も安定してきて、他の会社も結構お客さんが増えてきたんじゃないかと思います。

 

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数々の有名人と一緒にお仕事をされたときのお写真が飾られています

 

ーそんな早くに軌道に乗せるなんてすごいですね。軌道に乗せるために何かこれはやってよかったなってことはありますか?

逆に何もやらなかったんです。
宣伝とか売り込みとかやってないんです。
ブログを発信して、ホームページを充実させたくらい。
売り込んでもひかれてしまうことがあるので、発信することだけは続けました。
そこで好感を持ってくださった方、信頼してくださった方が2008年くらいから問い合わせをしてくださるようになったのかなと思います。

ブログは2005年の1月から、10年以上やってます。
自分でも何を書いてたか全然覚えていなくて。
長くから見てくださる読者の方が何人かいらっしゃるんですけど、「こういうこと書いてたよね」って言われても全然自分では記憶してなくて恥ずかしいことがありますね。
ブログは最近あまり書く時間が取れていないのですが、Twitterの中で反応が良かったネタを選んで更新してますね。
ブログは更新しないと、「更新してください!」っていうお叱りのメールが来たりします(笑)
なので頻繁にとはいかなくても、引き続き更新していきたいなと思っています。

 

ーブログだけでなくTwitterも活発にやられていて、物凄く拡散されていますがいつ頃から始められたんですか?

2009年5月からです。Twitterは覚書のようなイメージで、「ネパール好きな人と共有したい」っていうことを発信しています。 

今できもしないことは、これからできるようになればいい!やりたいことがあったらやっちゃえば?

ーこの仕事をやっていて嬉しかったこと、続けていこうって思ったことはありますか?

これっていうものはないんですが、日本では病院の検査室で顕微鏡ばっかり見る仕事だったんです。 
今の仕事はいろんな方が来てくださって、いろんな方と接して、いろんなことを知れることが嬉しいですね。

この仕事を辞めようと思ったことはないんですが、きついなって思ったのは、メールの対応ですね。日本人が私しかいないので、もう1人、2人日本人がいればいいのになって思うところですね。
一時帰国中に1日100通メールが来たこともありました。日本でのんびりしたいのにずっとパソコンの前に張りついていて。
返事をしないとスタッフに仕事が回らなくなってしまうので、日本に帰ってもパソコンでずっとメールを返してたことはありましたね。

 

ーネパールの人とお仕事する上で大変なことってなんですか?

時間にルーズとかはもちろんですが、何度説明しても変えられない価値観があるんです。日本人にとっては重要なのに、彼らにとってはそうでもないことが結構あるんです。
価値観が違うので、ネパールの人にすべてを日本人の感覚で完璧にやってもらうのは無理なんですよね。
トレッキングに来られるお客様には、その辺も楽しんでいただければいいなと思っています。 

 

ーどのようなスケジュールで1日お仕事されていますか?

メール対応ばっかりしてますね(笑)
お客様がネパールにいらしてからは全部ネパール人スタッフに任せていますね。
2011年、2012年くらいが一番忙しかったですね。
2015年の震災でお客さんは減っていましたけど、戻り始めてるなという感じはあります。 

 
ー今後、事業を行なう上で課題だなと感じている点はありますか?

うちの会社は日本人のお客さんがメインなんです。
その中でもトレッキングに来る層は定年された方や40~50代の方が多いんです。
逆に20代の方ってあんまりバックパッカーもしないですよね。
なので、そういった方々が年をとられてきたときにどうなるか。
正直、日本人のお客さんがメインでトレッキングのビジネスができるのはあと10年くらいかなと思っています。

最近はそんなこともあって、テレビのロケ撮影コーディネートにシフトしていきたいんですが、そうなるとたくさんのガイドさんたちに仕事が行き渡らなくなる。
そこがジレンマですね。

 

ーロケ撮影コーディネートはいつ頃から始められたんですか?

2008年から始めました。リサーチは自分でして、地元の人に聞いたりしてます。
撮影までの日程が切羽詰まってるので大変ですけど、調べる段階から知らなかったことを知れるのでとても楽しいですね。
事業を始めた2002年にホームページをつくったときにできもしないのに、できることの中に「テレビ撮影のお手伝い」を書いていました。

本格的に2008年からロケのコーディネートを始める前にもいくつか問い合わせがあったんです。
そういった問い合わせは経験がなかったことも伝わってしまったんでしょうね、ダメになってしまったんですが、経験を積んでいくうちに「次にオファーが来たらできるね」とスタッフたちと話していました。
そうしたらオファーをいただいたのが、2008年のBS-TBSの「世界の窓」さんのロケのお仕事だったんです。

 

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テキパキ働かれていたスタッフの方々

 

ーテレビのお仕事の中で一番大変かつ、達成感のあったお仕事は何ですか?

2008年の「世界の窓」さんのロケのときに子どもが生後3ヶ月でした。
日本で出産してネパールに戻ってきたときにお話をいただいたんです。
 やりたいけどどうしようと思っていたんですが、「生後3ヶ月の子どもがいるんですけどいいですか?」って先方にお伺いしたら「大丈夫です」と言われて。

生後3ヶ月の子どもを連れて、撮影で色々なところを回りました。
大変だったんですが、そのときは達成感がありましたね。

 
ーネパールでビジネスをする上で意識されていることはなんですか?

無理をしてもついてこないので、タイミングを待つことですかね。
何もしない期間があっても、次のステップに役立つのかなって思っています。
ネパールでビジネスをされている他の日本人の方もきっと同じで、のんびりとガツガツされずに事業をされているのかなと思います。 
もともとのんびりしてるタイプではあったと思うんですけど、日本の価値観を持ち込んできてもだめなこともあるので。

 

ーお話をお聞きして「積極的に待つ」っていうことなのかなと思いました。
発信などやることはしっかりやって待つっていうスタンスでいらっしゃいますよね。

すごいいい言葉ですね。そうなのかもしれないですね。
ただ待ってるわけではないですね。
押し売りをするのはやりたくないのですが、種を蒔いておくっていう感覚ですかね。 

 

ー最後にこのブログを読んでくれている20代にメッセージをお願いします!

やりたいことがあったらやっちゃえば? 
後悔するならやっちゃって後悔したほうがいいと思うので。
でも案外やりたいことをやっちゃうと後悔しないもんですよね。きっとね。
やりたいことがあったらそれを押し殺さないでやっちゃうのが一番いいんじゃないかと思います。
きっとまたそこからいろいろ開けてくると思いますので。

 

ヒマラヤン・アクティビティーズのアクセス情報!

外国人観光客が集まるタメル地区にオフィスがあるので利便性抜群。
この看板が目印です。

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事務所までの道についてはホームページで丁寧に書いてくださっています。
こちらを参考にお尋ねください。

ヒマラヤン・アクティビティーズについて

 

ちなみに春日山さんの発信されているブログ・Twitterは本当に面白くて有益な情報ばかりです。
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