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僕はネパールを変えることができない。

~ネパール在住青年海外協力隊が贈る、生き方に悩む20代が前に一歩踏み出したくなるブログ~

「嫌われる勇気」とはあの「MSN」?5分で読める書評&まとめ

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SPORT.esより引用

 

ナマステ!

「嫌われる勇気」
アドラー心理学を一気に知らしめた、岸見一郎さん名作ですね。 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

何度も読んで 内容を身につけたい人も多いと思います。
でも、心に刺さるポイントがありすぎて、なかなか覚えにくい。
しかも読み返すのって時間がかかる。

そこで、「嫌われる勇気」の内容を分かりやすくまとめてみました。
読み返したいときでも、5分で読めるのでおすすめです。

 

「嫌われる勇気」を要約すると、「MSN」になる

この名作ですが、一言で要約すると「MSN」になります。
あのバルセロナの驚異の3トップと一緒なんです。

Messi,Suarez,Neymarが本家なら、こちらはこうです。
Myself, Side, Now

なんじゃこりゃ(笑)
ここで読むのをやめちゃだめですよ!
少なくともMyselfだけでも読んでくださいな。

Myself:他者よりも「自分」 

「嫌われる勇気」のメインテーマ。
この本で最も強調されているのは、「他者」と「自分」の関係性です。
なぜならアドラー心理学の根底概念がこうだから。

何度でもくり返しましょう。
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。
これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。
もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう。

だからまず他人と自分を比べることをやめましょう。

われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。

具体的には「課題の分離」が必要なんです。
ちなみにこの考え方は個人的に一番この本で学ぶべき点だと思っています。
こう考えるようになると悩みやストレスが一気に減るんで楽になります。

勉強することは子どもの課題です。
そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。
これでは衝突を避けることはできないでしょう。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。 

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと——あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること——によって引き起こされます。
課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。

他者がどう思うか、何をするか。
これは全部「他者の課題」であって、「自分の課題」ではない。
だから僕らができるのはたった1つ。

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。
一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。
これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

だから「嫌われる」ことを恐れちゃだめなんです。

すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。

青年 な、なんですって!?

哲人 あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。
家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。
しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。
つまり、自由になれないのです。 

誤解しちゃいけないのは、「課題の分離」は他者を遠ざけ、孤立するためのものではないってこと。
「課題の分離」は対人関係のスタートなんです。
じゃあゴールは何かというと、「共同体感覚」。

もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、われわれはそこに自らの「居場所」を見出すことができるでしょう。
さらには、仲間たち——つまり共同体——のために貢献しようと思えるようになるでしょう。
このように、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

この「共同体感覚」を持つためには、3つのことが必要。
「自己受容」「他者信頼」、そして「他者貢献」
この3つ目が「幸せ」なんです。自分が「貢献している」と感じられること。

「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。

「貢献感」という「他者」に尽くせってこと?
自分よりも「他者」に重きを置くなら矛盾してない?って思うかもしれません。
でもそうじゃない。

他者に貢献したいと思うのは、他者が「仲間」だから。
他者を「仲間」だと思えるのは、他者を「信頼」するから。
他者を「信頼」するには、まず自分を「受容」しないといけない。

スタートである「課題の分離」は「自分」と「他者」をしっかり分けないで、他者を信頼するなんてできないですから。
まずは「自分」から始まるんです。だから他者よりも「自分」。
「幸福」とは「貢献感」。自分の価値を実感するために。

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

Side:縦ではなく「横」

目から鱗だったことがもう1つ。
すべての対人関係は「横の関係」であるべきということ。
驚くことに、「ほめる」という行為はだめなんです。

誰かにほめられたいと願うこと。
あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。
これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。
あなたにしても、縦の関係に生きているからこそ、ほめてもらいたいと思っている。
アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。
ある意味ここは、アドラー心理学の根本原理だといえるでしょう。

なぜ「ほめる」がだめなのか?

人は他者からほめられるほど、「自分には能力がない」という信念を形成していく。
よく覚えておいてください。

誰かが誰かを「ほめる」ときの関係性が「縦の関係」になっちゃってるんです。
そしてほめられることを目的とすると、他者に合わせた生き方になってしまう。

もしもあなたが、ほめてもらうことに喜びを感じているとすれば、それは縦の関係に従属し、「自分には能力がない」と認めているのと同じなのです。
ほめることとは「能力のある人が、能力のない人に下す評価」なのですから。

青年 しかし……しかし、それは納得しがたい!

哲人 ほめてもらうことが目的になってしまうと、結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶことになります。
あなたはこれまでの人生で、ご両親の期待に応えながら生きることにうんざりしたのではなかったですか?

一方で「横の関係」とは「同じではないけれど対等」な関係。
だから課題を前にして、足りないのは「能力」ではなく「勇気」
そして「介入」するのはでなく、「援助」をするんです。

ええ、ほめるのでも叱るのでもありません。
こうした横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。


青年 勇気づけ? ……ああ、以前に後日説明するとおっしゃっていた言葉ですね。

哲人 人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力がないからではない。
能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう〝勇気〟がくじかれていること」が問題なのだ、と考えるのがアドラー心理学です。
そうであれば、くじかれた勇気を取り戻すことが先決でしょう。

具体的には何をしたらいいのか?
「評価」する必要はなくて、純粋に「感謝」しましょう。

仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える。
あるいは「うれしい」と素直な喜びを伝える。
「助かったよ」とお礼の言葉を伝える。
これが横の関係に基づく勇気づけのアプローチです。

青年 それだけ、ですか?

哲人 ええ。いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。
評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。
もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。

なぜ感謝の言葉が大事なのか?
それは「ありがとう」の言葉で自分が「他者に貢献している」と知るからです。
そして貢献していると思えたら、自分の価値を実感できるからです。

共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。
他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。
そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

価値を実感できれば、課題に立ち向かう「勇気」が持てる。

「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」

これがアドラーのいう「横の関係」に基づく「勇気づけ」なんです。

Now:過去でも未来でもなく「いま、ここ」

最後のメッセージは当たり前すぎて忘れがちなこと。

アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。
自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。

過去の傷、「トラウマ」をきっぱりと否定します。
なぜなら過去の経験は、自分次第で前を向くエネルギーにもなるから。

例えば、会社をリストラされた場合。
もうこんな思いは嫌だといって、心の傷にして家に引きこもることもできる。
はたまた、エネルギーにして、自分で起業する道を選ぶこともできますよね。

前者の場合は、ただ家に引きこもりたいだけ。
引きこもりからリストラを引きこもる正当な理由に使っているんです。

われわれは自分の経験によるショック——いわゆるトラウマ——に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

だから「人は変われない」なんていうのは大ウソなんです。
本心では「変わりたくない」と思っているから変われないだけ。

あなたは変われないのではありません。
人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。
あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。

僕らの人生は「線」ではなく「点」の連続。
だから過去も未来もなくて、あるのは「いま、ここ」だけなんです。

哲人 線としてとらえるのではなく、人生は点の連続なのだと考えてください。  
チョークで引かれた実線を拡大鏡で覗いてみると、線だと思っていたものが連続する小さな点であることがわかります。
線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。

青年 連続する刹那?

哲人 そう。「いま」という刹那の連続です。
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。
われわれの生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。

なのに、過去がどうとか、未来がどうとか言ってる人。
そんな人は人生最大の嘘をついている。

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。
過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。
あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。
自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。

過去を嘆き、未来を恐れる暇があるなら、すべてを「いま、ここ」に。 

自分が劇場の舞台に立っている姿を想像してください。
このとき、会場全体に蛍光灯がついていれば、客席のいちばん奥まで見渡せるでしょう。
しかし、自分に強烈なスポットライトが当たっていれば、最前列さえ見えなくなるはずです。
われわれの人生もまったく同じです。
人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。
いや、見えるような気がしてしまう。
しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。

「いま、ここ」で真剣に生きたい。
でも目標や夢がなくて道しるべがない。
そんな人でも大丈夫。

「幸福」とは、「貢献感」。
だから「貢献感」を感じられるという軸から逸れなければなんでもいい。
自分が本当に他者に貢献できていようがいまいが、自分が「貢献感」を持てればいいんです。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

 勇気づけられる言葉です。


感想・書評:勇気をもって「自分の人生」を生きよう

「嫌われる勇気」を一言でまとめるなら「MSN」です。

Myself:他者よりも「自分」
Side:縦ではなく「横」
Now:過去でも未来でもなく「いま、ここ」

この3つ全てに共通しているのは「勇気」です。

横の関係で課題に挑む勇気。
過去にも未来にも逃げず、いまと向き合う勇気。
そして、他者ではなく、「自分の人生」を生きる勇気。

どれも今の時代には欠かせない勇気です。

100万部売れた「嫌われる勇気」。(2016年2月現在)
この本がこれだけ売れたのは、それだけたくさんの人の心を動かしたということ。
それはイコールでそれだけ「自分の人生」を生きれてない人が多いってことなんです。

この本を読んで、どんなに他人に嫌われても、自分の人生を生きたいって僕は強く思いました。

100人の人に好かれる「他人の人生」。
100人の人に嫌われる「自分の人生」。
どっちかを選ぶなら、僕は迷わず、後者を選びます。

自分の生きたいように生きて、嫌われたっていいじゃない。
他人と違う道を歩んだっていいじゃない。
他の人がどう思うかは自分の課題ではないんだから考えても無駄です。

一度しかない人生なんだから好きなように生きましょうよ。

必要なのはお金でも才能でもありません。
必要なのは「勇気」。たったそれだけです。

後悔のない納得のいく「自分の人生」を歩みましょう!

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え