僕はネパールを変えることができない。

~ネパール在住青年海外協力隊が贈る、生き方に悩む20代が前に一歩踏み出したくなるブログ~

「一億総ゲス社会」の皆さんへ。「非難」するなら「批判」してよ

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ナマステ!

2016年に入ってからの日本はおかしい。 数々の有名人の不倫へのバッシングに始まり。

熊本地震関連では被災した状況をブログで綴るタレントがなぜ非難される。 巨額の寄付をした芸能人がなぜか叩かれる。 アナウンサーが弁当の写真をTwitterにアップしたら袋叩きにあう。

他にもたくさんありますが、思い出すだけで気分が悪くなるので割愛。 大勢の誰かが1人の誰かを「非難する」ことがもはや当たり前になってますね。 とにかく「非難」しまくりの風潮。

「一億総ゲス社会」なんて言われちゃってますね。 BLOGOS「”一億総ゲス化”の日本を憂う」

でも僕思うんです。 「非難」するなら「批判」しなよって。 そして「批判」ができないなら、黙ってよって。

世の中で起きている99%のことは自分には関係ない

まず大前提として思うこと。 それは世の中の99%の出来事は自分には関係ないってことです。

有名人が不倫した? 関係あるのは、その有名人と不倫相手、及び当該者の家族だけ。

タレントが巨額の寄付をした? 関係あるのは、そのタレントの方と寄付を受ける方だけ。

アナウンサーが弁当の写真をアップした? 関係あるのは、そのアナウンサーの方と被災者の方だけ。

こう考えるとはっきりします。 ほとんどの人にとっては、全く自分には関係ないことなんです。 てか、物凄くさっぱりした言い方をするなら、どうでもいい

友人や家族のことならともかく、会ったこともない人に起こる出来事なんてほぼ自分とは関係ない。 だからね、自分に関係のないことにわざわざ首を突っ込まなくていいんですよ。 口出しなんかしなくていいんです。

バカ売れしているこの本でもちゃんと語られてます。

わたしの提案は、こうです。
まずは「これは誰の課題なのか?」を考えましょう。
そして課題の分離をしましょう。
どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか、冷静に線引きするのです。
そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

岸見一郎「嫌われる勇気」

「嫌われる勇気」の中では「課題の分離」と言われています。 でも、今の風潮はこれと正反対。 他者の課題にガンガン踏み込んでますね。踏み込まなくていいのに。

どうしてもするなら、すべきは「非難」ではなく「批判」

自分と無関係なことには首を突っ込まなくていい。 この大前提を理解した上でどうしても口出ししたい場合。 どうしても腹が立ったとかおかしいとか思うこともあるでしょう。

そんなときはせめて「非難」じゃなくて「批判」しましょうよ。

「非難」と「批判」って似てるけど全然違うものなんですよ。

「批判」


1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。
「事の適否を―する」「―力を養う」
人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
「周囲の―を受ける」「政府を―する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

Goo辞書「批判」
「非難」

人の欠点や過失などを取り上げて責めること。
「不実な態度を―する」

Goo辞書「非難」

まず「批判」っていうのは、理性的。 哲学の成立する条件を明らかにするなど、物事が正しいか正しくないかを論理的に検証することです。 だからロジカルなんです。

対して「非難」っていうのは、感情的。 定義でも「責める」という言葉が入っているように、相手に対する攻撃の姿勢が含まれています。 よって、全然ロジカルではない。

批判することは、「相手の人生に本気で関わる」ということ

理性的か感情的か。 これ以外にももう1つ大きな違いがあります。 この2つの最も大きな違いは「愛があるかないか」っていうところ。

「批判」には言う人から、言われる人への愛があります。 でも「非難」にはその愛がありません。

「批判」には誤りや欠点を指摘した後に、「正すべきであるとして論じること」という文言がある。 ということは、言う人は、言われる人に対して「もっとよくなってほしい」っていう気持ちがあります。 だから相手のために言っているわけです。

でも「非難」は「責める」で終わってしまっている。 要は相手がどうこうではなく、自分が言いたいから言う。 だから自分のために言っているんです。

自分のために言うのであれば、自分の感情に任せて言うだけ。 自分がスッキリするのが目的だから何も考えなくていい。 だから簡単です。

でも相手のために言うのであれば、ちゃんと論理的に言わないといけない。 そして相手の心に届くように、ちゃんと考えないといけない。 難しいしめんどくさいですね。

だから「批判」っていうのは「相手の人生に本気で関わる」くらいの覚悟がないとできないことなんです。

「批判」できないなら関心を持たないのがベスト

どうですか? 自分が会ったこともない人に「批判」できますか? 「非難」はできても「批判」はできないと思います。

そして「批判」ができないなら、わざわざ他人の課題に踏み込む必要はありません。

相手のためを思う「批判」ができないなら、公共の場で言う意味はありません。 ちなみに、SNSだって公共の場ですからね。 そんな場所で自分の自己満足のために誰かを傷つける「非難」なんてもってのほか。

どうしても腹が立ったり攻撃したくなったら、せいぜいリアルな身内で話すくらいにしておきましょうよ。

「非難」するくらいなら「批判」する。 それができないなら黙っておく。というか関心を持たない。 他人の課題には首を突っ込む必要はありません。

目を向けるべきは他人ではなく、「自分の人生」でしょ

なぜ他人の課題には、関心を持たないべきなのか?
だって、自分にとって一番大事なのは、「自分の人生」だから

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他人の課題に目を向けて、奪われてしまっていた時間ややる気。 これを自分の人生のために使いましょうよ。

有名人が不倫してたっていいじゃん。 タレントが巨額の寄付をしたっていいじゃん。 てか関係ないし。どうでもいい。

そんなどうでもいいことに目を向けている暇があるの? ないでしょ? てかあるなら、少しでも自分の人生を良くしようよ。

これからやってみたいことを考えたり、誰かと夢を語ったり。 自分が勉強したいことを勉強するのでもいい。 そんな風に過ごせたらもっと人生面白くなると思います。

「一億総ゲス社会」の皆さんへ。

自分に無関係なことに口出ししたくなったらせめて「非難」ではなくて「批判」を。 「批判」ができないなら関心を持たない勇気を。 無関心になることで、自分の人生に時間とやる気を。