僕はネパールを変えることができない。

~ネパール在住青年海外協力隊が贈る、生き方に悩む20代が前に一歩踏み出したくなるブログ~

青年海外協力隊の訓練中にガチンコで小学生と遊んで、ハッと気づかされたこと

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青年海外協力隊の派遣前訓練も後半戦に突入。 ただの座学だけでなく、いろんな種類の講座がありますが、「所外活動」という訓練もあります。 文字通り、訓練所の外に出てやる訓練です。

具体的には、農家に行って農業体験をしたり、障がい者や高齢者施設の手伝いをしたりします。 その中でも、僕は今回、保育園と学童に行ってきました。

前半は保育園児と、後半は小学生と一緒に遊ばせてもらったのですが、まあ楽しかった! そして、まあ子供の可愛いこと(笑) でも、そんなかわいい小学生にハッとさせられるようなことを言ってもらったので、そのことについて書いてみます。

一輪車乗り場で言われた衝撃の一言

小学1年生と3年生の女の子と遊んでいた時のこと。 「先生、一輪車やろう!」って言われて一輪車をやることに。(なぜか先生) もちろん僕は一輪車なんてできません。なので、最初は補助役をやっていました。

そうすると、3年生の女の子が「先生も一緒に乗れるようになろう!」って言ってくれました。 僕は「ええー先生はできないよー」なんて軽いことを言ったら、心にズドンとくる言葉をいただきました。

先生、だめだよ!まずできるようになろうとしてんのかよ!
最初からできないって思ってたら絶対できっこないよ!

なんていうか、頭をガツンと殴られたかのような衝撃でした。 まさにその通りすぎて、我に返りました。

本当にできるかはさておき、まずできると思ってる?

今回のケースは一輪車ってこともあって、「できると思おうとしていない」ことを見抜かれてしまいました。 でも、こんな風に根本的に最初から「できると思ってない」ことって結構多いと思うんです。

自分にはできると信じれば、あなたはもう道半ばまで来ている。  (セオドア・ルーズベルト)

このルーズベルトの名言からも、できる・できないはさておき、まずはできると思うことの大切さがよく分かりますね。 「できる」ってまずは思うところから始める。

逆にそれができなかったら、できるかできないかギリギリのとこは絶対できない。 それどころか、普通にやればできることもできなくなっちゃうかもしれない。

全てのスタートは、「できる」と思うところから。 そんな大切なことを学ばせていただきました。

健全な「教える・教えられる」の関係とは

もう1つ実感したのは、健全な「教える・教えられる」の関係は、固定化されるべきではないってことです。 一次隊には小学校教育として、派遣される同期がたくさんいます。 彼らは小学校で現役の先生として、バリバリ働いている人たち。

そんな彼らと接する中で、常々聞いていたのは、「子供たちからたくさん学ばせてもらった」ということ。 僕はそれを聞いて、頭ではなんとなくわかりました。 ただ、実感としては正直ピンと来なかったんです。そんなこと本当にあるんかなっていうことも思った。

でも、今日小学生と一緒の時間を過ごす中で、その言葉に嘘はないことが分かりました。 小学生に大事なことを気づかせてもらって、自分で体感しました。

青年海外協力隊でよく言われるのは、「途上国の人に何かを教えに行くんだね!偉いね!」ってこと。 ただ僕はそれにすごく違和感を感じるんです。

僕の職種は定義が超曖昧なコミュニティ開発で、僕自身の専門性がふわっとしてるのもあります。 でもそれを抜きにしても、僕が途上国の人に何かを教え、途上国の人は僕に教えられるってのはやっぱり変。 そんな気持ちは一切ない。

「教える・教えられる」の関係は時と場合によって、入れ替わるのが健全だと思う。 ネパールに行っても今回みたいに、ネパールの人達にはいろんなことを教えてほしいなって思っています。