留学の理由~「ネガティブ留学」がすべての始まり~

★今月の一押し記事!

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留学に対して想いを持っている理由。

それは 僕自身が留学を経験しているから です。

ではなぜ留学に行くことにしたのか。
それを今日は書いていこうと思います。

When? Where? How? and Why?


◆時期:2008年10月~2009年7月(大学2年後期~大学3年前期)

◆場所:Australia, University of Sydney

◆手段:早稲田大学の派遣留学プログラム

大学2年の時に留学をしています。
早稲田の派遣留学制度を使う場合、当時は1年前に出願をして選考を受けるプロセスでしたので、留学を決断したのは大学1年のときです。

◆理由:「失ったものを取り戻したい」「逃げ出したい」

一言でいうと、これらが最も大きな理由でした。
一般的に、留学というとポジティブで前向きな理由の人が多いのですが、決して僕の場合はそうではなかった。

失った「英語力」を取り戻したい

僕は5歳から約3年、アメリカに住んでいました。
世間から見ると「帰国子女」という枠に入るかもしれませんね。
自分ではそうは思わないのですが。

当時の記憶は、僕の頭の中にかすかに残っている程度。
でも両親が現地校に通わせてくれたおかげで、英語の「舌」と「耳」が僕に残りました。
それもあって、英語は昔から他人より圧倒的なアドバンテージがありました。

そしてその財産を忘れないように、帰国後も週一で英会話教室に通わせてくれました。
当時はもっと友達と遊びたかったから、正直毎週楽しみではなかったけども、今では感謝しています。

そんな風にして帰国から1年、2年と月日が経っていくうちに、どんどん自分の英語力が落ちていきました。
当然と言えば当然のこと。何しろ、週1回のたった2時間のクラスじゃ維持するのは困難です。

落ちていく英語力とは反対に、いつまでも残ったのは「帰国子女」という肩書き。
そして中学生になって始まったのは、英語の授業だった。
当然、僕のことを知っている友達は、分からないことはバンバン聞いてくる。

「帰国子女なのに、英語できないの?」

そんなことをいつしか言われてしまうんじゃないか。
負けず嫌いな自分にとって、それは絶対に言われたくない一言だった。
だから、英語は勉強した。できるからって手を抜かなかった。というか抜けなかった。

中間テストや期末テストで一番入念に準備をしたのは、苦手な数学でも、好きだった社会でもなく、英語だった。

思春期の難しい時期だっただけに、自分の中の矛盾する思いにも悩まされた。
「英語ができない」と思われたくないという気持ちとは反対に、「できすぎたくない」という気持ちもあった。
もとから目立つのは好きじゃないけど、特にこの頃は周りから「浮きたくない」と思っていた。

その葛藤はいつも英語の授業のある一部分で最高潮に達した。
それは「教科書の音読」。
1人ずつ先生が生徒を当てていって、読んでいく。
日本の英語の授業では何も珍しくないスタイル。

でもそれが本当に自分を悩ませた。英語の「舌」という財産が、自分を苦しめていた。

英語はできないとは思われたくない。
だから、発音良く英語を読みたい。
でも発音が良くしすぎるとクラスからは浮く。

今考えれば、本当に些細な悩みだなって思うけど、当時は結構悩んでいた。

そんな風にして、矛盾や葛藤を抱えながら、肩書きだけが日に日に重くなっていく日々。
そして高校生になった。

高校生にもなると、英語の授業もレベルアップ。
文法関連も難しくなっていって、僕もクラスメイトの質問に答えるのもしんどくなっていた。
期末テストも、英語は90点以上を取っていたけど、実はギリギリだった。

会話だけをやるクラスなんかも新しく始まった。
その頃だったと思う。

「言いたいことが言えない」

英語の「舌」は相変わらず残ってくれていたから、言いたいことをしっかり伝える手段はあった。
でも肝心の「言いたいこと」をどうやって英語で言うのか。
それができなくなっていた。

例えるなら、ヒットする漫画を実際に描くデザインの力はあっても肝心のストーリーがないような作家。
高校生になって、考えや意見が大人のように高度化したものになっていたこともあったのだと思う。

自分の手元にあった武器が錆びついて、使えなくなった。

その頃だったかもしれない。
本当に漠然とではあるけども、「留学」を考え始めたのは。
両親が度々選択肢として提示してくれたことも1つの要因。

でも根底にあったのは、「失ったものを取り戻したい」という気持ちだった。

望んで飛び込んだ環境から逃げ出したい

高校3年になり、僕も進路を考える時期になった。
進学校だっただけに、クラスのほとんどが大学へ進学する。
当然、僕も例外でなく、6月頃から大学へ進学するための受験勉強を始めた。

第一志望に掲げたのは、早稲田大学。
数学ができなかったから、私立文系で一番いいところはどこだろうと考えてなんとなく決めた。
慶應にしなかったのは小論文があって面倒だったから。

一緒に早稲田を目指していた友達と、文字通り死にもの狂いで勉強してました。
1日10時間は当たり前。試験直前は、朝の5時とか6時に起きてやってましたね。
今ではびっくりです!

幸運にも早稲田へ入学。

「こんなに勉強したのだから、楽しくないわけがない」って本気で思っていた。
けど、大学生活は自分が期待していたものとは大違いだった。

学校の授業そのものがつまらなすぎた。

今思えば、自分の興味・関心ではなくブランドで大学を選んだのだから当たり前のこと。
でも天下の早稲田でもこんなもんなのかと思うくらい、授業は退屈だった。

大学の薄っぺらい「人間関係」に馴染めなかった。

会うのは週何回かの授業だけ。なのに、まるでみんな昔から仲良しであるかのような。
中学や高校のように、全員が同じ時間割を取るわけではないのだから一緒にいる時間は少ないのに。
すごく違和感を感じた。

大学生といえばサークル。でもサークルにも入らなかった。

団体行動があまり好きではなかったし、人見知りですぐに心を開くのが苦手。
だから大人数のところには入りませんでした。少人数で友達の友達が入ったフットサルに顔を出すくらい。

学校に行って授業に出る。
でもつまらないから、携帯をいじるか、寝てるか。

友達とご飯を食べて、その後はバイト。
気が乗らない時は、わざと朝寝坊して授業をサボったり。

死にもの狂いで勉強して、やっと手に入れた大学生活。
望んでいたはずだったのに、待っていたのはこんなどうしようもない生活を繰り返す毎日。

「このまま4年間、こんな毎日を送るのは絶対に嫌だ。とにかく今の環境から逃げたい」

そう思った自分の頭の中に出てきたのは、「留学」という選択肢だった。

「逃げ出す=留学」へ結びついたのはなぜ?

1つは、「失ったものを取り戻す」という理由。
取り戻したかったのは「英語」だった。

もう1つは、留学という「選択肢」を知っていたから。

「環境を変える」という方法はいくらでもあります。
当時であれば、学部を変えるという転部をする、大学を辞めるという選択肢も今考えればあります。

でもなぜそこで「留学」という選択肢が自分の中にあったのか?

それは紛れもなく、両親のおかげです。
先程もちらっと書きましたが、高校受験、大学受験など進路の節目ごとに、毎回毎回「海外の学校という選択肢もあるんだぞ」と言われました。
そのときは反抗期だったこともあり「何を言ってるんだろう」としか思いませんでした。

でも大学に入り、「環境を変える」という決断をしたときに真っ先に出てきたのは「留学」でした。
そして幸運なことにその選択肢を叶えるだけの力と理解が我が家にはあったため、「留学」という道を選ぶことができました。

これは帰国後に聞いたことですが、実は父親の1つの夢は子供に留学をさせることでした。
なんて恵まれているんだろうと思いました。
なので、今でも親には感謝しかありません。

ネガティブ留学=奇跡

長々と書いてきましたが、僕の留学が決して前向きな理由ではなかったことが分かってもらえたかと思います。
「1を100にする」のが一般的な留学ですが、僕の場合は「マイナスを0にする」ようなものでした。


・「失った英語を取り戻したい」と思ったこと

・早稲田で「今の環境から逃げ出したい」という思いを持ったこと

・両親から「留学」という選択肢を教わっていたこと

・「留学」ができる家庭環境にあったこと

これらの条件が1つでも揃っていなければ僕が留学をすることはなかったです。
なので、僕は留学できたことをある種の「奇跡」だと思うわけです。

そんな奇跡のような出来事を少しでも選択する人が増えてほしいと思い、大学時代から留学支援活動をやってきました。
もっとたくさんの人に留学してもらうために、自分にできることを1つずつやっていこうと思います。
相談なども大歓迎です!

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